北方領土という言葉の意味と歴史
「北方領土」という言葉の意味は、第二次世界大戦でソ連(現在のロシア)に占領された北方四島を指すんですね。
北方四島とは、歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)のことをいいます。
日ロ両国が自国の領土と主張し、現在はロシアが実効支配しています。
そして、日本とロシアの北方領土の領有権の対立を北方領土問題というんですね。
北方領土の面積は約5000㎢で、千葉県や愛知県と同じくらいなんです。
第二次世界大戦の前には多くの日本人が住んでいたんですが、終戦後にはソ連に占領され、北方領土に住んでいた約1万7千人の島民の約半分は命からがら自力で脱出したといわれています。
それ以外の島民は強制退去させられたり、軍関係者などはサハリンで抑留生活をさせられ、その後に日本に送還されたそうです。
そして、北方四島からは日本人がいなくなり、ロシア人を入植させて実効支配することになり、現在に至っているんです。
では、現在北方領土に住んでいる日本人はいないのでしょうか?
実は、北方領土に住んでいた2世、3世の人の中には北方四島に移住している人もいるようなんです。
ただ、その人たちはロシア国籍で、純粋な日本国籍ではないんですね。
北方領土の東側は太平洋、西側はオホーツク海に面していて、南からの暖かい日本海流(黒潮)と北からの冷たい千島海流(親潮)のぶつかるところで、水産資源が豊富といわれているんです。
では、北方領土の歴史を見ていきますね。
1855年、江戸幕府とロシア帝国の間に日魯通好条約(日露和親条約)が結ばれました。
これによって、両国の国境線は択捉島と得撫島(うるっぷとう)に間に定められたんです。
樺太島(さはりんとう)には国境を設けず、これまで通り両国民の混在の地と定められたんですね。
日本政府はこの条約を根拠に、北方領土が日本領であると主張しているんですね。
1875年、明治維新後、樺太千島交換条約を結びます。
日本は樺太島の領有権を放棄するかわりに、ロシアから千島列島を譲り受けたんですね。
この条約で、千島列島とは占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)までの18の島と列記しているんです。
ですので、日本政府はこの条約を根拠に、北方四島は千島列島に含まないことを主張しているんです。
1904年、朝鮮半島と中国東北部の支配権をめぐって、日露戦争が勃発するんです。
この戦争は日本が勝利し、ポーツマス条約で南樺太を獲得したんですね。
1941年、第二次世界大戦中、日ソ中立条約を結び、日本とソ連は中立を守ったんです。
1945年8月8日、広島に原爆が落とされてから2日後、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告したんです。
このソ連の行動は、ヤルタ秘密協定により、南樺太、千島列島をソ連領有するということで決まったことからだといわれています。
ヤルタ秘密協定とは、ヤルタ会談で結ばれた対日秘密協定のことをいうんですね。
ヤルタ会談とは、第二次世界大戦の末期、米、英、ソの三首脳がヤルタで行った会談をいうんです。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏します。
ソ連軍はその後も千島列島を南下して、9月5日までに北方領土を占領するんです。
ロシアは第二次世界大戦で北方領土は合法的に自国領になったと主張しているんです。
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北方領土を実効支配するロシアの主張やメリットとは?
ロシアの主張としては、ヤルタ協定は確かに密約だが、敗戦後に日本を占領する米英首脳との約束であるから、ヤルタ協定は有効であると主張しているんですね。
ロシアのメリットしては、まず北方領土は生活可能な地域であるといわれているんです。
農耕が可能で、安定した海上輸送ができるんですね。
極東ロシアでは農耕可能な地域は少ないといわれていて、食料はアメリカ、日本、中国、韓国からの輸入に頼ってきたんですね。
北方領土は日照時間が長く、温暖な気候で農業ができ、さらに豊かな漁場が近いので食料に困ることがないんですね。
冬季にも海上輸送がきるんです。
オホーツク海は結氷するので、冬季には海上輸送ができないといわれているんです。
つまり、ロシアが北方領土を実効支配するメリットとして、極東ロシアは広大な領土を有しているんですが、居住可能な地域が極めて狭いことが挙げられるんですね。
以上、いろいろ北方領土について調べてみましたが、参考にしてみてくださいね。
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