優しさの行動?

優しさの行動?

突然ですが・・・

あるところにとても悲しんでいる老人がいました。

その老人はベンチに座って、ただ泣きつづけているんです。

かれこれ半日になります。

通りがかりの人たちは、気の毒そうに通り過ぎていきます。

声をかけようとする人がいます。

慰めてあげようとする人がいます。

何も感じない人がいます。

珍しそうに見る人がいます。

いろんな人がいます。

しかしですね、ただ一人だけ、その老人のそばに・・・

居るんです・・・

ずっと・・・

隣に座っているんです・・・

その人はずっと座っているんです・・・

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ずっと隣に座っている?

老人の隣に座って、ずっと・・・

そばにいるだけです。

ただ、ずっと・・・

そして、その人が・・・

イエスキリストなんです。

ああっと・・・

僕はキリスト教徒でも、どこかの宗教の勧誘でもないですよ。

念のため・・・(汗)

「イエスはずっと老人のそばにいたんです」

イエスは何もできないんです。

悲しんでいる人に対して、何一つできないんです。

無力なんです。

出来ることといえば・・・

一つだけ・・・

そばに居ること。

イエスという人は、

実は・・・

何か特別な能力を持っていたり・・・

何か特別なことが出来た人では無かったんです。

イエスという人は、無力だったんです。

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イエスという人は無力だった?

ルナンの「イエス伝 」にイエスキリストのことが書かれています。

何も出来なかった。

ただし、苦しむ人を見捨てなかった。

孤独な老人のそばに腰掛けていた。

女達が泣いているとき、そのそばにいた。

自分を裏切った者に、恨み言一つ言わなかった。

イエスの生涯はただそれだけだった。

実はイエスは、淡々と、人のために出来ることを、実践した人だったんです。

人と人との優しさの実践。

本来ある人間同士の優しさです。

実は・・・

これが特別なことなのでは、と・・・

そばにいるだけ・・・

人ために何かをしてあげられる、最大限のことかもしれませんね。

続く

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